能登半島地震から始まった2024年。さらに9月には豪雨が土砂災害をもたらしました。全国的にも思いがけない酷暑をはじめ、さまざまな災害が襲い、ここ数年、当たり前に過ごせない日常を経験しています。先人は「人生は思い通りにはならんということだけは忘れんように」と教えてくれました。まさにこれからはそのことを心にとどめて、日々を過ごす必要があります。

人生は、どれほど理不尽なことも、どれほど悔やまれても、やり直すことも、誰かに代わってもらうこともできません。人は大きな苦難に遭遇すると「なぜ自分がこのような目に遭わなければならないのか」という深い失望感を抱きます。「今の困難は神があなたに与えた試練です。神は乗り越えられる試練しか与えられません」と励ます宗教もありますが、仏教は違います。仏教は縁起の道理を教えるものです。世の中のすべての事象には、 原因とさまざまな縁が関わって結果が生まれます。「運命」というような人知を超えてあらかじめ定められているという発想はありません。「たまたま」の結果です。仏教は思い通りにならないこの身の事実に向き合いながら、生きることの意味を明かにする教えです。

上偈の「杖のことば」は、数多の困難に遇ったときこそ、それらはすべて、私にお念仏を忘れないように、一声でも多くのお念仏をもうすようにと、何かが働きかけているのだと思いとって念仏もうすのです。お念仏もうしながら、お念仏(仏法)に訪ねてゆくのです。そうすれば、どんな悲しみも苦しみも、きっと超えて、新しい道が開けてくるのです。誰しも順調なときは「おかげさま」と手が合わさります。しかし、逆境のときこそ大切なのです。仏教は誰にも代わってもらえない困難な事象にあったとき、複雑に関わりあう縁起の道理を見通す眼(智慧)を育てることを教えるものです。それはまた、困難な現実を受け入れ、意味づけをすることを通して、前向きに生きる視点を教えるものです。 お念仏もうす生活とは、どんなときも、苦悩する私に寄り添い支えとなるお念仏をもうしつつ、 「おかげさま」と感謝する人生に育てられてゆく歩みなのです。