南アジアのブータンという国は、精神的な豊かさを重んじる国民性ゆえ「世界一幸せな国」として知られるようになりました。しかし、現在は違うようです。かつてのブータンは他国の情報が簡単には入ってこない状況でしたが、現在はインターネット等の普及により、それらが容易に入ってくるようになり、自分たちの生活と比較できるようになりました。そうすると、自分たちの生活が変わったわけでもないのに、物質的に豊かな他国の人たちと比べて不幸と感じるようになったというのです。

杖のことば「くらべては 自分でつくる 不幸せ」は、毎日新聞の川柳に掲載されたものです。それまでしあわせを感じていても、他人と比べ始めた途端に幸福度が下がることはよく指摘されます。では、しあわせとは一体何を指すのでしょうか。日々の生活に追われているとなかなか考えることは少ないかもしれませんが、何かの拍子に頭をもたげてくる「人生そのものの問い」といえます。 

2月15日は涅槃会(お釈迦さまの命日)といい、仏教徒はお釈迦さまのご遺徳を偲んで聞法のご縁とし、み教えに出遇い、どのような状況にあっても、他人と比べる「ものさし」から離れた仏教の教える「知足(足ることを知る)」という道理に目覚める身に育てられてゆくことを大切にしてきました。それは単に何かしらの答えに出遇うのではなくて、問いに出遇うのです。ともすれば問いを持つことよりも、あらゆるものに対して既にある価値観・答えをもつことこそが大事であるかのように思います。そうなると、他人の価値観を判断基準にして、無自覚に評価しがちになり、本当に大切なものが見失われてしまうのです。

私たちは誰も代わりのきかない現実を引き受けて生きてゆかねばなりません。だからこそ、人間の愚かしさや悲しさを真摯に受け止めて、自分の問うべき問いを見出してゆくことに意味があります。その問いと共に生きて行くとき、この身このままで輝いているいのちに出遇えるのです。