
史上最短で6月中に梅雨明けした今年、夏の暑さがこれまで以上に深刻な問題になってきました。職場では熱中症対策が義務化され、水不足も不安です。しかし、暑い夏も、プールで遊ぶ子どもたちには快適な季節でしょう。私たちの都合は、少しでも涼しくあってほしいし、多くの雨は望みません。しかし、水不足の時は降雨を望みます。自分の都合に合う時は「めぐみの雨」ですし、自分の都合に合わない時は「あいにくの雨」です。雨そのものに「良い悪い」があるわけではありません。 雨に限らず、私を取りまく全ての現象そのものには「良い悪い」はありません。
仏教に「一水四見」(いっすいしけん)という教えがあります。「水」を見る時に、人間は飲み水、天人は水晶、魚は住み家、餓鬼は飲もうとした瞬間に火に変わる苦しみの水、と認識します。同じものも主体が変われば、認識の対象も変化することを教えます。一つの水が、その人の立場によってさまざまな見方ができるということです。有る無しや、多いとか少いとかの判断は、自我(執着)の思いです。見ている対象はひとつです。私たちの「思い」がその時々の状況次第で、様々な見方をします。視点が違うから見ている対象まで違っているように思いますが、そうではありません。人生の中でも、いろいろな苦しみや悩みに遭遇する時、私自身が視点を変えることによって、見えなかったものが見えてきたり、気づかなかったことに気づかされ、世界が開かれてくるのです。 自分の立場でしか受け取れていない私が、全てのものは立場によって見えてくる世界は違うことに気づく時、ひとつの事柄からたくさんのことを知らされてゆきます。
仏法の先達は、思い通りにならない現実も仏さまからのご説法と受け止められました。そこに行き詰まることない人生の地平が開けてくるのです。雨の中にありながら、雨と向き合おうとしない生き方は、人生を空しいものにしてしまいます。今こそ、杖のことば「いい人 いい雨 いい天気 みんな 自分中心」を深く心に留めてゆかねばなりません。何があっても現実を見つめ、平和を願い、前向きに生きてゆきたいものです。その私をいつも見守っていてくださるはたらき(仏さま)とともに。

