
地球温暖化の影響が顕著になり、記録的な暑い夏となりました。それは時間の経過も忘れさせる長く厳しい残暑です。だからこそ、時の流れを敏感に感じとり、空過した日々を送ってはいないか自問しなければなりません。こんな言葉があります。「一日の空過は、やがて、一生の空過となる (金子大榮)」と。胸に厳しく突き刺さる言葉ですが、逆にいえば、「空しく過ぎることのない、意義深い人生を生ききってほしい」と、そんな願いのこもった言葉です。人生を空過させないために「私の人生には生まれた時にいただき、死ぬまでに答えなければならない宿題があるんだ」といつも思います。
子どもたちの夏休みが以前に比べて短くなったようですが、日焼けしている子どもたちを見ると、ふと自分の幼少期が思い返され、夏休みの宿題はちゃんと片付けたんだろうかと思ってしまします。それは私自身の夏休みが、毎年のように宿題には手も付けず遊び惚けていたからです。8月の終わりになっては両親や姉に手伝ってもらいながら、半べそかきながら、宿題を片付けた記憶が今も鮮明に思い返されます。
学校の宿題は、誰かに代わってもらうこともできるかもしれません。では「人生の宿題」はどうでしょうか。これだけは誰かに代わってもらうことも、手伝ってはもらうこともできません。そこにこそ、宗教が要請されます。私にとっての浄土真宗です。
浄土真宗は「自覚の宗教」であり、それは教えに従って生きるのではなく、自身が生きる上において教えから自身が問われるということであり、自覚の内容は、私自身と私が作る世界が問われるということにおいて起こります。それは間違いのない歩みではなく、迷いながらも歩んでいくことができる(=自分で考えることができる)ということであり、そこにこそ、宗教の真実性、確かさがあるのです。
「今月のことば」は、すべての人間にいずれ訪れる人生の終わりを一升瓶の酒で表したものです。それはティッシュボックスの中のティッシュペーパーにも例えられますが、重みのある言葉です。楽しいときも苦しいときも、人生はあっという間に過ぎてゆきます。その中で本当に大切なものは何か。今こそ「人生の宿題」に目を向けましょう。

